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東京高等裁判所 昭和50年(う)1560号 判決 1976年11月08日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山花貞夫ほか六名共同作成の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事宮本富士男作成の答弁書に記載されたとおりであるから、ここにこれらを引用する。

訴控趣意第一及び第二について。

論旨は要するに、本件公訴は、被告人に犯罪の客観的嫌疑がなく、又は少なくとも起訴猶予にすべき事由があるのに、検察官が公訴権を濫用し、被告人の思想、信条及び政治活動を嫌悪し、不当な差別的意図をもって提起したものであり、憲法一四条、一九条、三一条に違反し、刑訴法二四八条の趣旨にも反する無効なものであるから、原審は本件につき公訴棄却の判決をすべきであったのに、原審が、弁護人らの公訴棄却の申立に対し、判決の理由中でなんらの判断も示さなかったのは刑訴法三三五条二項に違反した訴訟手続上の法令違反であり、また事件の実体について判決したのは不法に公訴を受理したものであるというのである。

しかし、原審において弁護人らが主張したいわゆる公訴権の濫用を理由とする公訴棄却の申立は、裁判所に対し職権の発動を促す意味を持つに過ぎず、刑訴法三三五条二項所定の「法律上犯罪の成立を妨げる理由」又は「刑の加重減免の理由」のいずれの主張にも当たらないことが明らかであるから、原判決が判決の理由中において右主張に対する判断を示さなかったからといって訴訟手続に所論の法令違反はない。

そして、記録、原審において取り調べた証拠、当審における事実取調の結果を総合すれば、被告人が、起訴状記載の日時場所において後記のように日本学生同盟(以下「学生同盟」又は単に「同盟」という。)に所属する片瀬裕に対し、その顔面を手拳で殴打し、襟首をつかむなどして、同人をつまずき転倒させて、これを押えつけ、その結果同人に全治まで約三週間を要する顔面挫傷、右下腿挫創の傷害を負わせたという傷害罪の構成要件に該当する事実があったことを認定することができるばかりでなく、右被告人の行為について違法性阻却事由のあることが一見して明白であるような状況はなく、また本件の捜査は片瀬の告訴に基づき開始されたもので、事案の性質上捜査段階では片瀬の被害事実を裏付け、又は強調するような関係者の供述は容易に収集することができたと窺われる反面、被告人が捜査段階では全面的に黙秘していたことからも明らかなように、違法性阻却事由の存在等に関する被告人に有利な証拠は必ずしも充分には収集することができなかったことが窺われる。このような捜査状況のもとで、検察官において現行犯逮捕その他違法性阻却事由等の存否について充分な検討をすることができないまま本件公訴を提起したからといって、犯罪の客観的嫌疑がないのに公訴を提起したとはいえないし、被告人の右行為の態様、結果、行為後の情況、被告人の年令、性格、境遇、経歴等のほか、傷害罪の法定刑の範囲が広いことなども考えると、本件が客観的にみて必ずしも起訴猶予にしなければならない事案であるとはいえないから、本件の公訴提起が検察官の不当な差別的意図に基づくものであるとか、合理的な裁量権を著しく逸脱する不当なものであるとは認められない。したがって、原審弁護人らの公訴棄却の申立を容れず、実体につき判断した原判決には不法に公訴を受理した違法はない。

論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第五のうち理由にくいちがいがあるとの主張について。

論旨は要するに、原判決は理由中の「本件の経緯」の項及び「被告人、弁護人の主張に対する判断」の項の二の冒頭において、片瀬裕が暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪の犯人であることを判示しながら、その直後において、同人が看板破壊行為の着手前に市庁舎に入った旨判旨し、同人が右罪の犯人でないとしたのは理由にくいちがいがあるというのである。

そこで検討すると、所論の指摘する原判決書「被告人、弁護人の主張に対する判断」の項における「片瀬裕は、右看板破壊行為着手前他一名の同盟員と共に(中略)同庁舎に入り」との判示部分は、右部分だけを見ると、所論のように片瀬が看板破壊行為に関与していないと認定し、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条、刑法二六一条所定の罪の犯人であることを否定する判示のように解されないでもない。しかし、右部分をその前後の部分と併せて通読すれば、原判決は、被告人、弁護人らの主張に対し、片瀬が他の学生同盟員と共謀して前記看板を破壊した罪の犯人であることは否定しておらず、ただ片瀬が他の同盟員の看板破壊の実行行為より以前に市庁舎内に入ったことを本件に至るまでの同人の具体的行動の一部として判示したに過ぎないものと解される。このことは、原判決が被告人の本件所為を現行犯逮捕とは認められないとした理由を被告人が同盟員らの立看板破壊行為に憤激し、これに報復するためにしたものであるという点に求め、片瀬が右看板破壊行為の犯人でないという点には求めていないことからも明らかである。したがって、原判決には所論のような理由のくいちがいはない。

論旨は理由がない。

控訴趣意第三ないし第五のうち被告人の行為態様に関する事実誤認及び現行犯逮捕を認めなかった原判決の事実誤認、法令適用の誤りの主張について。

論旨は要するに、(一)被告人は原審公判廷において、片瀬を殴打したなどと供述したことはないのに被告人がそのような供述をしたものとして判決中これを引用し、被告人の殴打行為を認めた原判決は事実誤認であり、(二)また被告人の本件所為は、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪の現行犯人である片瀬裕を逮捕する意思に出たもので、その際の有形力の行使も同人の抵抗を排除するため必要かつ相当な限度内のものであったから、適法な現行犯逮捕行為であるのに、原判決が現行犯逮捕とはいえないと判断したのは事実を誤認し、法令の適用を誤ったものであるというのである。

そこで検討すると、まず(一)の点については、原判決は「被告人、弁護人の主張に対する判断」の項において、被告人の公判廷における供述として、「片瀬が先に手を出したので殴った。現行犯人として逮捕した。」旨を摘示しているが、記録を調べても被告人が原審公判廷において片瀬を殴った旨の供述をした形跡は窺うことができないから、原判決の右摘示が誤りであることは所論のとおりである。しかし、原判決はこれを「被告人、弁護人の主張に対する判断」の項において、措信できない被告人の供述として摘示したに過ぎないから、理由のくいちがいとまではいえないし、原判決が証拠の標目において掲げる原審証人片瀬裕の供述によれば、同人は被告人から顔面左側を一発殴られたというのであるから、右原判決書の記載をもって原判決が存在しない証拠によって被告人の殴打行為を認めたものと解することもできない。

そこで進んで≪証拠省略≫を総合して検討すると、次の事実が認められる。すなわち、

一、かねて自衛隊の立川基地移駐問題について、これを促進しようとする政府、防衛庁とこれに反対する立川市が対立していたが、昭和四七年一二月二〇日防衛庁政務次官が立川市に赴いて阿部市長と会談し、自衛隊の移駐を通告するとの情報があり、右会談及び通告を阻止しようとした立川市は、同市錦町三丁目二番二六号立川市役所庁舎屋上に「自衛隊移駐反対、基地全面返還、跡地平和利用」を標語とするアドバルーンをあげ、これに呼応して立川市職員組合や市内の自衛隊移駐反対を主張する諸団体も同市第一庁舎玄関前付近に「自衛隊移駐反対」などと書いたたれ幕や立看板を掲げており、右一二月二〇日早朝から右会談を阻止しようとする市民団体員、労組員ら約三〇〇名が同市役所構内に集まって抗議集会を開き、報道陣や警備の警察官も多数つめかけていたが、同日午前中右会談は中止され、集会もほぼ散会した。

二、ところが、同日午後一時過ぎごろ、自衛隊の移駐促進をめざす日本学生同盟所属の者約三〇名が、同中央執行委員長片瀬裕の引率のもとに、立川市議会の議決した自衛隊立川基地移駐反対決議等に対する抗議のためと称し、日章旗、日本学生同盟旗、同三多摩支部旗及び「阿部市長糾弾、自衛隊移駐促進」などと書いたプラカード一五本位を携え、右第一庁舎前噴水池付近で集会を開き、右片瀬及び学生同盟中央執行委員二名位が携帯マイクで立川市長に対し抗議する演説をし、また前記市庁舎前の立看板等について、これらは違法であるから撤去せよとか、これらを破壊することは当然の行為であるとか叫んで気勢をあげ、同日午後一時二六分ころ、右集団は、片瀬裕を先頭に喚声をあげ、駆け足で市庁舎玄関前に殺到し、いっせいに前記プラカードの柄等で前記の立看板等を倒したり、たたいたり、ひきさいたり、踏みつけたりしたうえ、いわゆるアジビラを付近にまき散らした。片瀬は、右集団の先頭に立ち、市庁舎前の右立看板を素手で一回殴打するなどしたうえ、同僚一名と共に立川市長に抗議文を手交するため玄関内に入り、また外に出て、同庁舎の南西にある市議会の建物に行ったりして市長を探していた。右集団の破壊行為は午後一時二八分ころに終り、右集団は態勢を立て直して、市役所西側入口から退去したので、片瀬が再び第一庁舎の玄関から出て来たときは、右集団はすでに退去したあとであった。

三、他方被告人は、昭和四一年以降立川市議会議員であり、同四五年ころから立川反戦市民連合を結成し、その代表者をしていたが、前同日午前中に開催された定例市議会に出席したのち、議会二階事務局で雑談中、前記学生同盟員の集会及び看板破壊行為を目撃したので、同盟員らが退去した直後ころ、第一庁舎玄関前に降りて行き、付近にいた警察官に「なぜ制止しなかったのか。」と抗議したが、要領を得ないまま、同市役所職員数名と共にこわれた看板(被告人の所属する市民連合の看板もこわされていた。)をかたづけたり、付近に散乱したビラを集めたりしていたところ、付近にいた立川市議会議員大山隆が片瀬裕ほか一名を見付け、同人らと口論となった。そこで被告人は片瀬に近づき、「お前が指揮者だろう。何でこういうことをやらせるんだ。」と抗議したところ、かえって同人から突きかかられたので、被告人はこれに憤激すると共につかまえてやれという気持ちになって、とっさにその顔面を右手拳で一回殴打し、右手で同人の襟首のあたりをつかみ、左手で同人の右手をつかみ、これをふりほどこうとする片瀬と取っ組み合うような形となって相争い、噴水池付近まで移動した際、付近の縁石につまずいて倒れた片瀬の上に乗りかかるようにして倒れ、そのまま同人を押えつけていたところ、付近にいた警察官や市議会議員中村勇司らに制止されたため手を放し、中村と共に前記議会事務局に戻った。片瀬裕は、右被告人との取っ組み合いの結果、全治まで約三週間を要する顔面挫傷、右下腿挫創の傷害を負った。

四、同日午後一時三一、二分ころ、右学生同盟の集団のうち柴田、高柳ら一部の者と付近にいた市民との間に前記噴水池付近でトラブルがあり、右二名が警察官によって連行された。他方片瀬は右被告人との取っ組み合いののち、市役所西側入口から約一〇〇メートル離れた学生同盟の集合地点に戻ったところ、前記柴田及び高柳の両名が戻らないのを知り、集団の隊列を立て直したうえ、一時三三分ころ、全員が駆け足で市役所西側入口から前記市役所構内に再び入ったが、警察官の規制を受け、同時に右の二名が連行されたことを知って構内から引き揚げた。

右認定のうち、一、二、四の各事実は関係証拠上明らかな事実であり、本件の審理経過にかんがみてもほとんど争いのないところであるが、三のうち、とくに被告人と片瀬の取っ組み合いの状況については深刻な争いがあるので、以下に説明を補足する。

まず、被告人と片瀬との本件取っ組み合いが行われた時刻は、学生同盟員らの集団が破壊行為を終っていったん市役所構内から退去した後であり、その場所が市第一庁舎玄関前の噴水池付近であったことは関係証拠上明らかである。ところで、原審証人上園三彦(警察官)の証言及び同証人作成の写真撮影報告書謄本並びに原審証人片瀬裕の供述によれば、当時上園証人は右市庁舎玄関前付近で採証活動に従事しており、午後一時二〇分ころから三五分ころまでの約一五分間にわたり、前記玄関前付近の写真を五〇枚撮影し、撮影時刻及び写真の説明を付した写真撮影報告書を作成しているところ、右報告書添付の写真番号一六、一七によれば、午後一時二九分ころ学生同盟員らが構内から退去し、同写真番号二四によれば、一時三〇分ころ、右玄関前付近で隊列から離散した一部同盟員と市民とのトラブルと題し、写真中央やや左に何者かの身体をつかむようにして紛争の渦中にあるような姿の片瀬が写っており、同写真番号三〇ないし三四によれば、一時三一、二分ころ、ほぼ同じ場所で学生同盟員二名(柴田、高柳)と市民とのトラブルから右二名が警察官によって連行されるに至った経過が撮影されていることが明らかであるのに、本件取っ組み合いが全く撮影されていないのである。したがって、本件は時間的には午後一時二九分ころから一時三〇分ころまでの一分足らずの間に起きたものか、又は写真番号二四のトラブルののちの一、二分の間に起きたものか判明しないが、いずれにせよ、ごく短時間の出来事であり、しかも警察官である同証人の注意をひかない程度のものであったと認めるのが相当である。

ところで、本件においては原審証人片瀬裕の供述と同能登屋秀夫及び被告人の供述とが著しく対立しているが、原審の事実認定は、片瀬の証言のうち、被告人から顔面を一回殴打されたこと、首をかかえてねじふせられたこと等の部分は信用し、当初口論もなくいきなり被告人から攻撃されたとか、池の中に二度も投げ込まれそうになったと述べている点、さらには被告人以外の数名からも殴る蹴るの暴行を受けたと述べている点などは採用しなかったものであり、同証人の証言には前記写真番号二四の状況と符合しない部分があることや、もし右原審不採用の点についての同証人の証言が真実であるとすれば、前記上園証人の注意をひかなかった筈はないし、また付近には他の警察官らもいたことであるからもっと早く制止されたものと考えられることなどその信用性を疑わせる事情があるから、原審の右認定の態度を基本的に首肯することができる。しかし、当審における事実取調の結果をも含めて原判決の認定を検討すると、原審の認定する事実のうち、被告人が、片瀬の顔面を一回殴打した事実は認めることができるが、同人の首をかかえてねじふせたとの事実は、片瀬に同情的な当審証人中村勇司の供述(同証人の証言は片瀬証言と同様全体として片瀬の被害状況を過大に供述しているものと認められる。)によっても認めることができないから、前記のように認定した。

次に片瀬が受けた傷害の原因、程度について補足すると、原審証人岡崎正彦(医師)の供述によれば、顔面挫傷というのはややはれているという程度のものであることが認められ、また原審証人片瀬裕の供述によれば、それは額の右まゆの上にあったと認められるから、被告人の殴打の態様に照らし、それは殴打行為自体によるものではないと認められる。なお、証人片瀬は左ほお骨の上にも受傷していたと後から付け加えているが、この点の供述は原審証人岡崎正彦の供述に照らし信用できない。また、右下腿挫創は、片瀬が地上に倒れたときに生じたものと推認されるが、証人岡崎の供述によれば、全治まで二、三週間はかかるが、非常に軽いけがといってよいことが認められる。このことは、片瀬が負傷後手当を受けることもなく学生同盟員を指揮し、機動隊ともみ合い、その後立川警察署を訪れ、さらに先輩を訪問するなどしていることからもうかがうことができる。

そこで、以上の事実関係を前提として所論(二)の現行犯逮捕の主張について検討すると、右事実によれば、学生同盟員らの立看板破壊行為は、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条、刑法二六一条違反の罪にあたるものであり、片瀬はその直前同盟員の指揮者として立川市庁舎前の集会で立看板の破壊を使嗾するような演説をし、みずから集団の先頭に立って立看板を殴る等の行為をしたほか、同盟員らの破壊行為が行われている際、市長を探して付近を歩き回っており、被告人が片瀬に遭遇したのは右暴力行為の現場で、しかも暴力行為の終了後わずか三、四分以内のことでもあるから、当時片瀬が右の罪を現に行い終った者といえる状態にあったことは明らかである。また、被告人に片瀬が右の罪の現行犯人であるとの認識があったことも認めることができる。ところで、原判決は、被告人が学生同盟の暴力行為に憤激し、これに報復すべく、本件争闘行為に出たものと認定し、そのことから被告人に現行犯逮捕の意思がなかったものと判断したものと解される。たしかに、被告人が片瀬に対し、「何でこういうことをやらせるんだ。」と抗議したうえ、同人の顔面を手拳で一回殴打しているところからみると、被告人が同人に対し憤激し、報復感情を抱いていたことは否定できない。そして、現行犯人の逮捕と認めうるためには、逮捕者が逮捕の意思をもってすることが必要であると解すべきである。しかし、相手方の犯罪行為に対し憤激し、または報復感情があったからといって、直ちに逮捕の意思を欠くものとはいえない。両者が共存することは決して不合理ではない。ことに、前記事実によれば、被告人の主張する立川市反戦市民連合の立看板も片瀬らの暴力行為によって破壊されており、被告人はいわば被害者的立場にあったものと認められるから、このような場合、加害者である片瀬に対し憤激し、報復感情を抱いても、それは人間としてむしろ通常の感情というべきであり、それだけでは逮捕意思の存在を否定する理由とはなり得ないものといわなければならない。そして、被告人は現に片瀬の身体を拘束する行為に出ているのであるから、逮捕の意思があったと認めるほうがむしろ自然である。もっとも、前記事実によれば、被告人は当初片瀬の顔面を一回殴打したほか、取っ組み合いの前後を通じて片瀬に対し逮捕の意思を告げたことは全くなく、また、付近にいた警察官に対し逮捕の協力を要請するなどの行為をしていないのであり、これらの点から、一見、被告人に逮捕の意思がなかったようにも考えられる。しかし、被告人が片瀬の顔面を殴打した行為も、前記のとおり片瀬がいわゆる右翼学生集団の指揮者であること、被告人の抗議に対し同人が先に突きかかって来たことに対するものであることを考えると、被告人が片瀬を逮捕しようとするにあたり、同人の機先を制してその抵抗を排除するためにした行為と認められないではなく、また被告人が片瀬に対し逮捕の意思を告げなかったことについても、逮捕意思の告知は現行犯逮捕の要件でないのみならず、逮捕行為に常に随伴するものでもなく、とくに私人による逮捕の場合には往々にして興奮状態等のためそのような余裕のないことが少なくないことにかんがみ、必ずしも不自然なものとはいえないのであり、また、被告人が付近にいた警察官に逮捕の協力を要請しなかったことについても、前記のいきさつからして被告人に警察官への依頼心が少なかったと推認されるのであり、したがってこれらの点は逮捕意思の存在を否定するに足りないのである。そうすると、片瀬に突きかかられたのでつかまえようと思って本件に及んだ旨の被告人の供述を排斥して、被告人に逮捕の意思がなかったことを認定するに足りる証拠は存しないものといわなければならない。そして、前記事実によれば、被告人の片瀬に対する行為は、その顔面を一回殴打した点を除けば、終始同人の襟首や手をつかまえて離さず、これをふりほどこうとした同人と取っ組み合い、警察官の制止によって手を放すまで押えつけていたというに過ぎないものであり、それは即ちに逮捕行為にほかならない。片瀬の顔面を殴打した行為も、前記のような同人の本件当日における暴力的言動や被告人の抗議に対する反抗の姿勢など当時の状況のほか、殴打回数が一回であり、それ自体によっては片瀬に傷害を負わせる程度のものでなかったことに照らせば、社会通念上同人の抵抗を排除し、逮捕を容易にするための実力行使として必要かつ相当と認められる限度をこえたものではないと解すべきである。したがって、被告人の片瀬に対する行為は全体として現行犯人を逮捕するためにした必要かつ相当な範囲内のものであったと認められ、刑訴法二一三条により違法とされる現行犯逮捕にあたると解するのが相当である。

以上のとおり、被告人の片瀬に対する本件所為は適法な現行犯逮捕の行為と認められるから、刑法三五条により罪とならないものというべきである。したがって、右と異なり、現行犯逮捕にあたらないとした原判決は事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤ったものであり、その余の控訴趣意に対する判断をするまでもなく破棄を免れない。この点の論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により被告事件について次のとおり判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、昭和四七年一二月二〇日午後一時三〇分ころ、東京都立川市錦町三丁目二番二六号立川市役所前広場において、片瀬裕(当時二三才)に対し、同人の顔面を手拳で数回殴打し、その身体を掴んで同所にある噴水池の中へ投げ込もうとする暴行を加え、よって同人に全治約三週間を要する顔面挫傷・右下腿挫創の傷害を負わせたものである。」というのであるが、前記の理由のとおり、本件被告事件は罪とならないものであるから、刑訴法三三六条により無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 勝俣利夫 裁判官 小野慶二 小泉祐康)

<以下省略>

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